今年の税制改正で一躍注目をあびた「償却可能限度額(5%)」ですが、私は以前から、昭和39年の導入時に、どうして残存価額の10%と泣き別れになったのか、その理由をはかりかねていました。
税務弘報最新号(2007年4月号)「実務家から見た減価償却制度のあり方」という座談会の中で、税理士の山本守之先生が、償却可能限度額が導入された経緯について、吉牟田先生の書籍を引用して説明しています。
その説明によれば、当初の経済界の要請は、残存価額の引下げでしたが、残存価額を下げると、定率法の償却率にも影響が生じてしまいます。
例えば、残存価額を5%にした場合、「当時(昭和39年)で4,000億円程度、税率3%引下げと同じ減収が生ずることが試算された。そこで、残存価額が高すぎるという批判に応え、しかも税減収を小さいものにするため、残存価額(10%)と償却可能限度額(95%)の二重の制度が設けられたものである。」(吉牟田勲 『法人税法詳説』中央経済社)
私は、償却可能限度額を引き下げる話が先にあって、実務への影響等を考慮して償却率の改正が見送られたものと思っていたのですが、事実は、その反対で、償却率へ影響を与えないために、償却可能限度額という新しい概念が導入されたのが実情のようです。
しかし、一時的な税収調整の施策が、その後40年間も継続していたというのも、いかがなものでしょうか。
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